ネコのお話

2カ月ほど前のこと。

「瞑想」をした方がいいと勧められた。

翌日のランチの時に、その瞑想の話になり、
「瞑想、いいんじゃない? やってみるといいよ。瞑想してる時ってね、目は見えてるけど見てない、耳は聞こえてるけど聞いてないっていう感じなんだよ」
と同僚スタッフが教えてくれた。

ん? その感覚なら、体験したことある、って思った。

小学生の頃、連日、友達とワイワイ騒いで、お喋りしすぎて、頭が疲れてぐったりして、
「あー、もう何も話したくない、一人になりたい、ぼ~っとしたい!」
というふうになってしまうことがあった。

当時鍵っ子だった私は、家に帰ると、一人、机の前に座り、
「さって、ぼ~っとしよっと」
と、”ぼ~っとする”をスタート。

なにも考えず。たぶんオモチャの電池が切れたような状態で、しばし無の境地。

力なく目は開いているけれど、見ているものを認識していない、
耳も聞こえているけれど、何の音か認識していない。

どのくらいの時間だったのか覚えていないけれど、
スイッチオン!して、”ぼ~っとする”から目を覚ますと、元気モリモリになっていた。

頭もスッキリして、
「また友達と遊びたーい! たくさんお喋りしたーい!」
と友達に会うべく、家を飛び出していた。

子供の私は「瞑想」という言葉は知らなかったけれど、
もしかしてあれが瞑想(もどき)だったのではないか、
ならば、私、瞑想、簡単にできるかも!

早速、帰宅後、瞑想を試みる。

とりあえず我流で始めてみる。

力が抜けて、ふうっと入って行ったな~、というところだったか、
足元から膝の上に猫がのってきた気配を感じた。

といっても、今、家には猫はいない。

あくまでも、そんな気配が感じられただけ。

でも、その猫は私の知っている猫だと感じた。

***********

中学生から高校生の頃、実家には猫がいた。

迷い猫だったけれど、とても人懐こくて私はすごくかわいがっていた。

猫の方が自分より寿命が短いだろうから、私はその猫の最期を看取ろうと思っていた。

「最期は、私の膝の上でね」
なんて思っていた。

ところが猫は家に来てからたぶん2年ほどで突然姿を消した。

自由に外に出していたけれど、いつも同じような時間に帰ってきていたのに。

この世からいなくなってしまった気はしなくて、
帰ってきてくれる、って思っていた。

でもその後、二度と帰ってこなかった。

夢でもいいから会いたい、
って思っていたら、本当に夢の中に出てきてくれた。

いつものように一階の勝手口のところから鳴き声が聞こえる。(帰ってきたよ、開けて~、の鳴き声)

私は二階の部屋の窓を開けて、一階の勝手口の外で鳴いている猫の名前を呼ぶ。

猫は私を見上げて、ニャ~ッ=^▽^=と鳴く。

いつもなら、私は一階に駆け下りて行ってドアを開けて、猫を抱き上げる。

ところが夢の中の猫は、一階からポーンポーンと木とか物置の屋根とかを蹴り上げて、二階までやってきて、
私の腕の中に飛び込んできた。

帰ってきてくれたんだね! よかった!

夢の中で私は猫を抱きしめた。

目が覚めたとき、夢の中で会えて嬉しかったけれど、悲しかった。

「夢に出てきたっていうことは、もうこの世にはいないんだなあ」
って思ってしまったから。

帰ってこられなかったということは、何か良くないことが猫の身に起こったのだろう……。

***********

瞑想(もどき)をしていた時、
その猫が膝にのってきた気がしたのだ。

私は久しぶりに会えて嬉しくて、(目はつぶったままだったけれど)顔が自然に笑ってしまうほどだった。

しばらく(感覚的に)ジャレた後、
私はずっと思っていたことを心の中で語りかけた。

ずっと抱えていた罪悪感。

『ごめんね、最期まで守ってあげられなくて。助けてあげられなくて。きっと辛かったよね、苦しかったよね』

私は今までずっと、何かの折に、
「猫好きなんですよ~」
と言いながら、必ず可愛がっていた猫のことを思い出し、そして同時に守ってあげられなかったという苦い気持ちを感じていた。

だからその時も自然に出てきた。

『ごめんね』
という許しを請う言葉が。

ところが、この時、猫の方から意外な言葉が返ってきた。

もちろん人間の言葉で聞こえたわけではなくて、心と心の会話。

心同士の会話は、言語なんて飛び越えてしまう。

『こっちこそ、ごめんね。急にいなくなったから心配したでしょう?』

えっ、
と思った。

私は自分の罪悪感しか頭になくて、猫の方がどう思っているかなんて考えていなかったから。

もしかして守ってあげられなかった私を恨んでいるのではないか、とすら思っていたから。

そうか、そんな気持ちでいてくれたのか……、
そうだよね、その方が恨んでいたっていうより、このコっぽい……、
と思ったら、さっきまでジャレあって笑っていたのに、今度は涙があふれてきた。

『恨んでいるんじゃないか』
と思っていた私に、
『恨むわけないでしょ! 心外!』
って返してきた気がした。

『どうして欲しい?』
と私は心の中で問いかけた。

いきなりいなくなってしまったので、お墓もない。

『お墓みたいなのを作って、そこに手を合わせるのがいい?』
それはちょっと違う、と返ってきた気がした。

『生きてた時みたいに、(心の中で)想ってくれたり、呼びかけてくれたりするのがいい』

うん、わかった、
って思った。

瞑想(もどき)を終えて、目を開けた。

なんていう体験。

なんていう安らかな心地良さ。

後日、たまたま会った知人に、この体験談をした。

「でも私、無になってないですもんね。これって瞑想とはいえないですよね」
などと。

知人は興味深く聞いてくれながらも、瞑想についてはあまりわからないようだった。

数日後、その知人からメールが届いた。

『私はよくわからないんですけど、瞑想に詳しい友達に聞いたら「それは瞑想だよ!」と言っていました。過去の後悔していることや嫌だったことなど1つ1つを解決してゆけることも瞑想らしいです』

なるほど。

なんにしろ、
私の今後の人生が変わっていくような素晴らしい体験だったことは確か。

今まで抱えていた罪悪感を捨て、これからは堂々と、
「私は猫好きなんです~」
と言いながら生きていこう!

相手に対して、自分がしてあげられなかったことを、
「してあげられなくてごめんなさい」
と思うのはエゴだという。

なぜならば、相手はそのことをしてもらいたかったわけではないかもしれないから。

それを「してあげたかったのに、してあげられなかった」というのは、自分勝手な押し付けにしかならないのだと。

それよりも、してもらったことに対して「ありがとう」と感謝するべきなのだそうだ。

思いがけず再会できた猫に、心から言う。

「私と出逢ってくれて、ありがとう。出逢えて、とっても幸せだよ^^*」


ウチのネコたち